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2016年11月 旭会館「原爆と戦争展」

■旭町「原爆と戦争展」ご報告

 山口県岩国市の米軍岩国基地に隣接する旭町の旭会館で、「原爆と戦争展」が19日から20日に、婦人組織・クスの会主催でおこなわれました。

  岩国基地にはF35Bステルス戦闘機空母艦載機の移転が計画され、市民の危惧が高まるなか、

 

 

戦争体験者、労働者、婦人、親子連れ、小学生などが参観しました。参観者からは、戦争体験と戦争反対の強い思いや、安倍政府の戦争政治への怒りが語られました。

16.11.20


  第二次世界大戦の真実を語り継ぐ

 旭町「原爆と戦争展」

~なぜ320万もの命が奪われたのか~

 

日時:2016年(平成28年)

    11月19日(土)~20日(日)

     午前10時~午後5時

     (20日は午後4時まで)

会場:旭会館 1階 (岩国市営旭プール横)

    山口県岩国市旭町2-12-27

    ▶旭会館ホームページ

●入場無料

 

■主催:岩国クスの会

■協賛:岩国「原爆展」を成功させる会


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チラシ表
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チラシ裏
チラシ裏

ご来場者の声

原爆が落とされた時小学4年生だったという81才のご婦人は…

 「長男の兄はフィリピンで戦死し、次男の兄は硫黄島で戦死した。三男の兄は特攻隊に志願して、鹿児島の基地で訓練をしていた。特攻に出る直前で終戦になり戦死せずに帰ってきた。二人の兄は白木の箱で帰って来たが、箱の中には遺骨はなかった。母の悲しんでいた姿を思いだします。従妹の主人も戦死したので、従妹は職を探しに広島に行ってすぐに原爆で亡くなりました」と凄惨な体験を語り、「主人は学徒動員で岩国陸軍燃廠で働いていたが、空襲の

 

 

 

時は防空壕に逃げて助かりましたが多くの人が亡くなった。私は家の近くの山に逃げて助かった」と当時の体験を話されました。そして安倍政府の駆け付け警護の容認にたいして「これは自衛隊が世界のどこでも武器をもって戦争ができるということです。戦争になれば必ず自衛隊員に犠牲者が出ます。戦争体験した方々は、絶対に戦争をしてはいけないと思っています」と安倍政府の戦争政治を危惧されていました。


涙を流しながらパネルをじっくり観ていた地元旭町の81才のご婦人は…

 「思い出して涙が出る。あまりにも酷い。戦争は絶対にやってはいけん。あの時、私は10才で川下小学校にかよっていた。昭和2089日、急に米軍の艦載機グラマンが来て、爆弾を投下したり機銃掃射で住民を殺害した。特に製材所付近では多くの人が殺された。私の友だちも3人死んだ。一人は骨さえ拾うことができなかった。

 

 

 

 私は爆弾の落ちる中を逃げ惑った。製材所付近では血が大量に流れていた。裸足の私はそれを踏みながら逃げ惑った。あの戦争で兄二人が戦死した。従姉妹は広島の原爆で死んだ。だからわが家の戦後の生活は苦しかった。パネルを観るのはつらいが観てよかった。観るのは苦しいが戦争の解らんことが解ってよかった」といって「ありがとう、ありがとう」「観てよかった、観てよかった」といって会場をあとにされました。


旭町で展示会をされたことはとてもよいことだという68才のご婦人は…

 「ゆっくりと色々な記事が読めたので、今まで知らなかったことや真実を知ることが出来てとても参考になりました。

 

 

 

 是非若い方にもこの戦争展の記事を読んでいただきたい」といって、原爆と大戦の真実の冊子を買い求められました。


原爆と戦争展の展示を見たのは初めてという30代の男性は…

「これまで、広島の原爆資料館や沖縄のひめゆりの塔、知覧の特攻隊の記念館などに行った。祖父は戦時中徳之島沖で輸送船の船長だったが戦死している。そこにある記念碑や資料館にも行った」「歴史には興味があります。過去がなかったら今がありませんから」とのべられました。

そして、「私は京都出身ですが、学生の頃京都で

 

 

は、戦争はダメ!軍部が悪いという教育でした。どうして戦争になったのか、その背景などについての話はありませんでした。ちょっと偏っていました。戦争はいけないのはよくわかります。現在、原発再稼働や南スーダンに自衛隊を派遣し、“駆け付け警護”すると言っていますが、何が真実なのかはっきりしません」と疑問を語っておられました。

 


80代の男性は…

「父親が満鉄に勤めていたが病死したので、広島にいた母の妹が迎えに来てくれたので終戦前、小学校2年生の時に日本に帰ってきた」「日本に帰ってから帝人に勤めた。昭和40年代に入って松山工場に転勤になった。その頃、帝人の煙突が邪魔になるからと米軍の要請で煙突を低くした。松山では5年ぐらい務めて退職した。それから転々と職をかえてきた」と話された。

 

 そして「基地があるため企業の発展も阻害され、街はさびれてきた。人絹町は以前は人も多くにぎやかだった。今では見る影もない」「岩国基地は増強され、来年は米軍や軍属、家族を含めると人口1万人以上の基地になる。彼らは税金など払わない。払わないどころか“思いやり予算“で優遇されている。人絹町だけでなく川下地区や麻里布地区の商店街もさびれてきた。基地がある限り岩国の発展は望めない。“基地栄え街滅びる”ですよ」とのべられた。 


涙目で語られた81才のご婦人は…

「川下での空襲、8月14日の岩国駅周辺の空襲は知っていたが、これだけも岩国が空襲を受けていたことはこのパネルを観るまで知らなかった、

 

 

まして子供たちがこんなにむごたらしく殺されたことに今更ながら驚き悲しい」と感想をのべられた。


50代ののご婦人は…

「どうして戦争するのかねえ、普通、人は穏やかに暮らしたいし、戦争なんか考えんよねえ、戦争したい人だけがどこかの島に行って戦争やって、皆を巻き込まんで欲しいよねえ。

 

 

子供がなかなか授からず、やっと生まれた男の子を、絶対戦争にやらない。自衛隊にも入らないでよと高校生の息子に話している」と強い口調で話されました。


皆様からの貴重なご意見・ご感想 誠にありがとうございました。

●新着情報

 原爆と戦争展のご報告

ご来場者の声アンケート掲載

期間:2024年8月20日~28日

ところ:山口県岩国市中央図書館 展示室

戦争で犠牲となられた方々の御霊に謹んで哀悼の意を捧げます。そして、今もなお被爆による後遺症で苦しんでおられる方々に心からお見舞い申し上げます。 

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