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忘れえぬ岩国空襲 山本健士

忘れ得ぬ岩国空襲

山 本 健 士

 

私は昭和20年(1945年)8月14日の岩国空襲まで、岩国駅前の現在のセントラル映画館付近に住んでいた。

母は早く病気で亡くなり、父は残された8人の兄弟姉妹を育ててくれていた。その父も病気で倒れ、空襲当時は寝たきりの状態だった。

家の玄関の縁は、中学五年生の兄が作りかけた防空壕があったが、空襲のあと我が家のもので何とか形が残っていたのは、防空壕だけだった。

 

当時私は県立岩国工業学校機械化一年生であったが、学徒動員で帝人岩国工場で働いていた。帝人岩国工場には、東工場と西工場があって、その間に飛行機用手動ポンプを作る帝人製機工場があった。

私達は、東工場と西工場を行ったりきたりしていたが、当日は東工場で、空襲の時は今津川土手の縁に生えていた松並木の傍らに身を伏せて避難していた。

 

B29の姿は、城山あたりの上空に5、6㌢の大きさに見えたように思った。それが10基ずつの編隊で、一斉に爆弾を落としてきた。投弾された瞬間は、小さな黒いものが数十個バラバラと機体から投げ出されたように見えた。そしてわずかな時間、放物線に落下し、ほぼ垂直に落ちるように見えたと思ったら、爆弾の姿は見えなくなった。何の音も聞こえない数秒間が過ぎると突然「バリ、バリ」「ザァザァ」というような何ともいえない不愉快な音が始まり、そして何秒間のあと「ドン!」という爆音が響いた。

不愉快な音の後の数秒間が地獄というか、髪の毛が吹き立ったような、本当に恐ろしい時間だった。「両手で目と耳を押さえ、腹を地面から少し離して伏せておれ」という指導を忠実に守って、「ドン!」という爆音を待った。

 

爆撃が終わると、西工場に集められ担当の先生から注意があり、それぞれの家に帰っていった。自分の家に帰るのは、わけはないことと思っていたが、爆撃を受けた街は様変わりで、道らしいものはすべてなくなっていた。

岩国駅周辺 絨毯攻撃のよる無数の穴
岩国駅周辺 絨毯攻撃のよる無数の穴

私が歩いたのは無数にあいた爆弾の穴の縁を伝い、上り下りしながら、一歩一歩足探りしながら進んだ。

帝人を出ると、そこはほとんど全壊状態で、大部分は火災になっていた。道端の電信柱は立ったまま燃えていた。

 

東小学校の近くまで来たとき、はじめて死人を見た。それはお母さんらしい人が小学校三、四年生ぐらいの男の子を抱いて、ふらふら歩いている姿だった。よく見ると、子どもの腸がぶら下がり地面をひこずっていたが、お母さんは泣きもしないでいたが、もう涙も出なかったのだろうと思った。

 

やっと家のところに帰り着くと、跡形もなく木屑や土くれの山だった。自宅に当たっている爆弾の数を数えてみると、15坪ほどの家に250㌔爆弾が9発命中しており、家としての構造物はなにも無かった。

玄関は二畳、その南に三畳の板の間、その西側に六畳の畳の部屋があり、そこに病気の父が寝ており、長姉とその長男が付き添っていた。

次姉が父の看病をしていたが、空襲警報が出たので台所に行き、七輪の火を消し、父の傍に帰ろうとして六畳の間に一歩足を踏み入れたとき爆撃を受けたという。しかし、次姉は奇跡的に助かった。だが、父も長姉もその子供も跡形もなく散華していた。

 

その後、何度もそこら一帯を返したが骨一つ見つけることはできなかった。最近までこの近くに来た時は、いつも両手を合わせていた。

次姉は、爆弾であいた穴の斜面の真ん中あたりに、ほぼ直立の姿勢で足を木材に挟まれ体のまわり全体を木切れや土砂で埋め尽くされていた。助け出されたのは、爆撃から6時間以上も経った18時から19時頃だった。

 

私はその姉を連れて、麻里布小学校の講堂の救護所に行った。救護所に行くまでに見た幾つかのことが、今でも脳裏に焼きついて離れない。

その最初のものは、憲兵隊の近くの道路の縁で、生後6、7ヶ月ぐらいの赤ちゃんが足が腿のあたりからスポッと切れて死んでいた。また、頭のてっぺんから5、6㌢のところで、真横に切断されて口をあけ、中の脳みそが溢れている死人にも出会った。

 

爆風で死んだ人にも出会った。その人は、駅前の別の町内会の管林という60才の人で傷一つない姿で道端に倒れていた。傍らで2人の娘さんが、「お父さん、お父さん」と取りすがって泣いておられた。

 

 

別の岩国空襲のとき、愛宕にいた従姉が、田の草刈りをしていた時、米艦載機に小型爆弾を投下され、機銃掃射されたことがあった。人道主義を叫ぶアメリカが、民間人をねらうというのは、まったくけしからんと思う。

 

このようなことを、再び繰り返させないために、皆さんと一緒に平和のために尽くしたい。

 


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