みんな手足がバラバラになって死んだ
3月 大阪・神戸・名古屋が丸焼けに
名古屋空襲 3月12日.19日.25日
「昭和二十年三月の名古屋空襲にあった。小学四年生だった。疎開先での空襲に耐えかねて両親のいる自宅に逃げ帰った直後だった。炎にとりかこまれ、このままでは危ないと防空壕を飛び出していった近所の人たちは翌朝、みんな手足がバラバラになって死んでいた」
「名古屋や一宮空襲のあとも、人の姿を見ると機銃掃射で撃ち殺そうとしたアメリカが鉄道は破壊せず、駅なども無傷で残した」
大阪大空襲 3月13日深夜から14日
「西淀川空襲の時四年生だった。炎に追われて逃げてきたが、一面焼け野が原で、梅田から難波の高島屋が見えた。長柄橋の下には死体が累々と横たわり、世にも恐ろしい光景だった」
「京橋駅のあたりもたくさんの爆弾が落とされいっぺんに五百人が亡くなった。川が湯のようになっているところへ熱さに耐えかねた人たちがドボンドボンと飛びこんで死んでいった。あの恐ろしさは忘れない。アメリカの戦斗機は田んぼに一人でも人影があれば機銃掃射で撃ち殺した。わたしの父も四十三歳で艦載機に撃ち殺された」
神戸大空襲 3月17日.5月11日.6月5日
「元町のあたりも焼夷弾で丸焼けにされた」
●更新情報●
11/10 原爆と戦争展のご報告とご来場者の声アンケート掲載
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