熊本空襲 7月~8月
「熊本が7月と8月に商店街があった場所が空襲がひどかった。熊本城を残してほとんどやられた。熊本も人がいるところは片っ端から機銃掃射でやられていった。この辺りは血だらけの人がたくさんいた」
水戸空襲 8月1日
「水戸駅から大工町まで市内の八割が空襲で焼かれ、残ったのは茨木新聞と百貨店ぐらいだった。小学校三年のとき、ひたちなか市で雨の降る真夜中に艦砲射撃を受け、ものすごくこわかったことは一生忘れられない」
前橋空襲 8月5日
「前橋には零戦などをつくっていた中島飛行場があり、市中心部には唯一の鉄筋立てのデパートを残して焼夷弾攻撃で焼け野原にされた。近くの広瀬川は河原にあった防空壕が狙われ、避難していた市民がみんな焼け死んだ。前橋空襲は終戦間際の空襲だった」
豊川海軍工廠 8月7日
「豊川の海軍工廠が200機のB29と150機の艦載機による猛爆を受けた、なかにいたのはほとんどが女学生、動員学生だった」
新潟空襲 8月10日
「新潟市はひどい空襲はなかったが港が近くなので雨のように機雷がまかれた。信濃川の渡船に爆弾がおとされて乗っていた学徒動員の新潟商業高校の生徒たちがみんな死んだ」
大分県 8月10日
「すべて焼け野原になった。駅から海が見えた」
宮崎県 8月12日
「県庁を残してこの辺りは全部焼かれた。終戦直前の8月12日に宮崎市は空襲があった。とくに軍の司令部が狙われた。米兵の顔が見えるほど低空飛行していった」
長野県 8月13日
「長野には松代の大本営や飛行場があったのでアメリカに狙われた。ガスタンクにも爆弾を落とされ、赤ん坊のおしめを干していた母親が機銃掃射で撃ち殺されるのも見た。終戦前日にもB29が上空を回っていた。いまもアメリカは病院にまで爆弾を落としている」
秋田県 8月14日
「日本で最後の空襲といわれる土崎空襲で、石油の精製工場のあった市内の土崎地区が空襲された」
●更新情報●
11/10 原爆と戦争展のご報告とご来場者の声アンケート掲載
戦争で犠牲となられた方々の御霊に謹んで哀悼の意を捧げます。そして、今もなお被爆による後遺症で苦しんでおられる方々に心からお見舞い申し上げます。
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