街を取り囲むように爆撃
鹿児島空襲 6月17日
「鹿児島市内も空襲で丸焼けになった。知覧も飛行場があるため空襲を受けた」
浜松空襲 6月18日
「あそこにも ここにも死んだ人がごろごろしていた。この辺り(遠鉄、新浜松駅)は鉄道用地で線路だったが、ぼこぼこになったところだ。アメリカの艦隊が遠州灘の十里沖まで来て、海の上から市内にむけて猛烈に艦砲射撃をやった。砂浜には魚雷の不発弾が乗り上げていたのを見た。アメリカは家のないところまで雨みたいに焼夷弾を落として無差別に市民を殺した
四日市空襲 6月18日
「昭和二十年六月十八日、未明から明け方にかけて、」「昭和二十年六月十八日、未明から明け方にかけて、市役所を中心に二キロ四方が丸焼けにされた。一晩で八百人をこえる市民が殺された。」
私の家も寝ているときに焼夷弾の直撃を受け、父とわたしは寝間着のまま逃げ出した。いきなり天井が落ちて、火の海になったので、母と弟は逃げ遅れ、父と一緒に飛び込んで救い出したが、二人とも全身大やけどで助からなかった。葬式もできず、火葬場は棺桶の山で、遺骨を取りにいってもだれの骨だかわからなかった。
●更新情報●
11/10 原爆と戦争展のご報告とご来場者の声アンケート掲載
戦争で犠牲となられた方々の御霊に謹んで哀悼の意を捧げます。そして、今もなお被爆による後遺症で苦しんでおられる方々に心からお見舞い申し上げます。
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