炎と血と涙のしみた体から生まれた詩
略歴
峠 三吉 大正6年(1917年)~昭和28年(1953年)は、広島を拠点にした詩人。 大阪に生まれ生後まもなく家族と共に父の故郷の広島に転居。昭和20年(1945年)8月6日、爆心地より3kmの広島翠町 (現在の南区翠町)で被爆。 広島商業学校在学中から詩歌を作り始め、 戦後は広島を拠点とする地域文化運動で中心的な役割を果たす。昭和26年(1951年)には「にんげんをかえせ」で始まる『原爆詩集』を自費出版し、原爆被害を告発しその体験を広めた。
われらの詩の会 (1949年~53年)
孤独な自我の歌でなく、人民の魂が鳴り出でる詩を
われらの詩の会結成の『ことば』
峠 三 吉
かつて山上に奏でられていた孤独な自我の歌は、すでに寂しい呟きのようにうすれて、今や歌がと絶えざるためには人民の魂が鳴り出でねばならぬ時が来た。美しい歌は美しい人間生活の証言として以外にはなく、われわれの抵抗はおのずから人民の魂にその唇を求めねばならなくなった。詩が自我の内部に探るべきものをも失った時、自然のように力を増す勢いをもって詩法は人民の予見しえない魂から再び生まれはじめるであろう。
(1949年10月)
『われらの詩』八号
「平和のための宣言」(抜粋)
峠 三 吉
いまや平和へのたたかいなくして、われわれの芸術的創造はあり得ぬときが来た。われわれはヒロシマの詩人として地下に横たわる声なき声を生かして、かせられた責務を果たすために原子兵器の絶対禁止を世界に向かって要求し、それを規定づけるストックホルム平和大会のよびかけを全面的に支持する。また戦争に反対するすべての詩人と結び、各国の進歩的な民主団体の隊列に加わり、平和擁護の旗のもとに全力をあげて平和への闘いに起ち上がることを宣言する。自由と幸福をめざす人民の闘いのなかで、われわれはさらに強く詩人としての喜びを見いだすであろう。
(1950年8月3日)
上記:冊子「原爆と戦争展パネル集 原爆と大戦の真実」・峠 三吉 より
冊子「峠 三吉 詩集」より
原爆と戦争展パネル集
被爆者・戦争体験者は訴える
原爆と大戦の真実
・第二次世界大戦の真実 ・きけわだつみのこえ
・全国空襲の記録 ・下関空襲の真実 ・沖縄戦の真実
・原爆と峠三吉の詩 ・敗戦、やっと戦争が終わった
・世界の平和運動の中心に ・峠三吉 ・磯永秀雄の世界
編集:下関原爆展事務局 取扱:長周新聞社
定価:1,000円
峠 三吉
原爆詩集
発行:下関原爆展事務局 18cm×13cm 120項
定価:500円
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●更新情報●
11/10 原爆と戦争展のご報告とご来場者の声アンケート掲載
戦争で犠牲となられた方々の御霊に謹んで哀悼の意を捧げます。そして、今もなお被爆による後遺症で苦しんでおられる方々に心からお見舞い申し上げます。
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