第一次大戦後のバブル景気がはじけて昭和恐慌に
「満州事変の後の二・二六事件にしても、日本は農村恐慌で農民一揆も二〇〇〇件もあり、社会不安が起こる危険性が高かった。私の郷里の愛媛県の半農半漁の村でも、養蚕が奨励され、政府が補助金を出した女の子は小学校を卒業すると製糸や紡績工場の寄宿舎に入り、住み込みで働いた。口減らしの意味もあった。盆に帰る時ときに五円持って帰る。当時借金の利子が年五分で、女の子が持って帰る五円は大変んな値打ちを持っていた。その金がない家は倒産した」
(大分県 宇都宮六男)
憲兵や特高ににらまれ、マスコミにたたかれものが言えなくなった
「昭和八年のいわゆる、〈長関共産党事件〉で、下関を中心とする左翼勢力は、壊滅的な弾圧をうけた。〈長関共産党事件〉というのは、当時の新聞がつけた名称で、実際には長府にも下関にも共産党の組織はなかった。ともかく全協、プロレタリア科学同盟などの労働組合、文化団体から、左翼の雑誌の読者まで根こそぎやられたわけである。」
(福田正義「展望前後」)
「この時期は戦争、天皇軍部への批判は片言隻句といえども絶対にふれられなかったが、ヒトラーの批判はまだやれた。それは昭和十一年ごろまで合法性をもち昭和十二年、日華事変突入によって完全にダメになる。そういう色合いの時期でもあった」
(福田正義「展望前後」)
「最近の出版物に氾濫している伏せ字は怪文書、不穏文書等々と共にどうやらこの国の名物であるらしい。そしてこの伏せ字もこの国の重大なる歴史的モメントたる満州事変を契機として日に日に多くなった。二・二六事件はそれに拍車をかけて、今日では政治、経済、社会その他あらゆる時事問題を扱った文書の伏せ字のないものの方がよっぱど珍しいくらいである。ファッショを憎むことは、この国人民全体の叫びである。しかしながら人民は声をたてようにもたてる手段がないこと、抜き打ち的におびただしい大衆課税をやられてもウンともスンともいえないことと同様である。ジャーナリズムは文化のためにたたかうよりも景気のいい方の提灯を持つ方が好きであるし、現在の無産諸政党は声明書を発表することしか知らないのである。従ってすべての反ファッショの声は、未組織的であり、消極的な形で、この国の全土に低迷してそのハケ口を求めているのである」
(福田正義「門司新報」昭和十一年十一月)
ファッショ = ファシズム的な傾向・運動・支配体制。
ファシズム = 権力で労働者階級を押さえ、外国に対しては侵略政策をとる独裁制。
マッカラム少佐(米海軍情報部極東課長)が
海軍情報部長・アンダーソン大佐に提出した対日戦略文書
「アメリカ合衆国は今日、欧州では敵対的なドイツ及びイタリアと対決しており、また東洋では敵対的な日本とも同様な状態にある」「日本に明白な戦争行為に訴えされることができる手段として、対日経済制裁を強め、日米交渉が決裂し、日本が戦争に出ざるをえない状況をつくる」
(一九四〇年一〇月七日)
スチムソン米陸軍長官「真珠湾攻撃」十日前の極秘電文と日記
「日本との外交交渉が中断することは明らかであって、日本の作戦行動が避けることができないのであれば、アメリカは最初に明白な行動を取るべきではない」(電文)
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11/10 原爆と戦争展のご報告とご来場者の声アンケート掲載
戦争で犠牲となられた方々の御霊に謹んで哀悼の意を捧げます。そして、今もなお被爆による後遺症で苦しんでおられる方々に心からお見舞い申し上げます。
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