基地奪い取るために大量殺りく
日露戦争後から沖縄・日本占領計画を持っていた
沖縄戦計画
米軍の沖縄線は「アイスバーグ作戦」と称された。その任務は「沖縄を解放し、基地として整備し、沖縄諸島における制空、制海権の確保」とされていた。沖縄を奪い取るおこと、これは日本を単独占領するという目的を実現するためが一つ。それ以上に、中国侵略の拠点にするという目的を持っていた。
沖縄侵攻の司令官バックナーは、沖縄戦を開始した4月、「中国大陸への道筋とした、ロシアの拡張主義に対抗する拠点として、沖縄を保護領その他の名目で排他的に支配することが不可欠」といった。陸軍参謀長マーシャルは7月、「戦後に予想される戦争地域のなかには黄海周辺がふくまれる。したがって琉球に基地を置き、残りの地域を非軍事化して友好国にゆだねることがのぞましい」といった。
1500隻の艦船、55万の米軍が襲った地形がかわるほどの艦砲射撃
「アメリカが殺したんですよ。わたしたちは道を歩くたびに、ああ、あそこで足があぜ道にちぎれていた、あそこで人が死んでいたと思いだし、いまでも亡くなった人たちのうめき声が聞こえてくる」
「そのとき8歳ぐらいで、裸足で歩いて逃げまどった。艦砲射撃をやられると、鋭い刃物のような鉄の破片が雨のようにバラバラと降ってくる。わたしにも傷痕がある。小学生のときは短パンをはくのがいやだった。いまも艦砲射撃で肩に傷を受け、呼吸が苦しくなるなどの後遺症を持つ人がたくさんいるんですよ」 「海からは艦砲射撃で空からは機銃掃射。ガソリンを入れたドラム缶をなげつけて爆弾を落とされた」「マラリアもシラミもやっぱりアメリカだった」 「那覇で偵察機がシラミをまいていった」 「戦後はよく、軍国主義が勝っていたらもっとひだかったといわれていたので、アメリカのことはいいにくかった。ほんとうの敵はアメリカなのに本土の人が敵にされてしまった。アメリカは朝鮮戦争のように、同じ日本人同士をけんかさせようとするんだ」 「市民系、革新系、いろいろ動いているけれど、背後には各市の予算などいつも金が動く。だから体験者は語らなくなってきた。わたしは米軍がくれた物資の幸せはいらない。ほんとうの心の幸せがほしい。米軍基地を撤去して、農漁業をやって自給自足をしたらいい。そして沖縄戦のほんとうのことを若い世代に伝えたい」
無差別の県民大虐殺
真実を
若い世代に!
生き残った
人々の願い
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11/10 原爆と戦争展のご報告とご来場者の声アンケート掲載
戦争で犠牲となられた方々の御霊に謹んで哀悼の意を捧げます。そして、今もなお被爆による後遺症で苦しんでおられる方々に心からお見舞い申し上げます。
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