撃沈され海上で泳ぐ兵隊を
機銃掃射した
「アメリカはやりたい放題だった。スマトラのインド洋側にニコバル・アンダマン諸島があって、日本軍の基地があった。当時、もう飛行機は二基しかいなかった。そこにアメリカは、まるで雨だれのように砲撃をし、島の形が変わるほど何日も爆弾を撃った。そうしないと上陸しないのだから。そういうことは沖縄だけのことではなかった。一番ひどい目にあったのは現地の住民ではないか」
(下関市・小松久雄)
「ガダルカナルの海戦で日本軍は壊滅させられたが、アメリカは、沈没し海に投げ出された兵隊にむかって機銃掃射をして皆殺しにした。日本軍は日露戦争のときには沈んだバルチック艦隊の兵士を助けたが、アメリカは非戦斗員でも皆殺しするやり方だった。硫黄島付近では一隻の船に二百人の兵隊を乗せて十数隻で移動しているところへグラマンが機銃掃射し、助かったのは一隻だけだった。今度はその一隻に八十基のグラマンが集中攻撃してきた。必死で逃げて助かった」
(下関・戦争体験者)
戦艦大和の最期もそうだった
「戦艦大和がやられたとき、わたしは爆弾の破片で頭と左肩に傷を負い、全身血だらけだった。沈没とともに、油と炎が漂うなかを何人もの日本兵が必死に泳ぎ、助けを求めていた。ところが米軍機が、海上に浮いている一人一人を狙って機銃でバラバラと撃つ。あれは人間のやることではない。沖縄戦でもアメリカは、壕の中に避難していた住民を火炎放射器で焼き殺したというではないか。ひどいことをする。ときおり意識がもうろうとなりながら、泳ぎはじめて一時間ばかりして、奇跡的に味方の駆逐艦に助けられたわたしは、別府の海軍病院に収容され、その後呉にいた。そのとき原爆が広島に投下され、わたしはそのキノコ雲を見た。それにしてもアメリカはあれだけひどいめにあわせておいて、日本が一番悪いことをしたとか、アメリカが日本を救ったようにいうのはなぜか」
(下関 元戦艦大和乗組員 小西 博)
●更新情報●
11/10 原爆と戦争展のご報告とご来場者の声アンケート掲載
戦争で犠牲となられた方々の御霊に謹んで哀悼の意を捧げます。そして、今もなお被爆による後遺症で苦しんでおられる方々に心からお見舞い申し上げます。
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